れいわ新選組は幕府側?維新の会に負けるフラグでダサい?山本太郎が自由党を離党して新党を立ち上げる

れいわ新選組は幕府側?維新の会に負けるフラグでダサい?山本太郎が自由党を離党して新党を立ち上げる

4月10日、自由党共同代表の山本太郎参議院議員が参院会館で記者会見を開き、自由党共同代表のを離党する意向を明らかにしました。新しく立ち上げる政治団体名は「れいわ新選組」で、新元号の「令和」と幕末に警察活動した「新選組」を合わせたものになっています。政治団体名には、幕府(政府)側に付くのか、維新の会に負けるフラグが既に立っているとかなど、「ダサい」といった声も挙がっています。

自由党を離党して新党を立ち上げる

国会内での記者会見に先立ち、山本氏は小沢一郎代表と約1時間にわたって会談を持っています。
特に慰留はされませんでしたが、離党は党が進めている国民民主党との合流協議の結論が出た後とすることが確認され、時期は4月下旬と予想されています。離党には、両党の合併の可否は関係せず、国会では国民民主党と自由党との統一会派に残る方向だということです。

現職の国会議員にも参加を呼びかける予定で、今年の夏の参院選での候補者の擁立を目指す方針です。擁立人数については支持者から募った寄付金の額に応じて決めるということで、内訳についても具体的に示しています。

最大で衆参ダブル選挙になった場合には、10億円が必要とした上で、参議院選挙では5億円から6億円集まったら比例区に25人、3億円なら10人、それ以下なら東京選挙区しかないだろうとのことです。先ずは5月末までに1億円を集めたいという考えを示し、寄付金が集まらない時には、改選数6の東京選挙区に無所属で出馬する意向が示されました。

尚、「れいわ新選組」は、元号が発表された4月1日に届出済みですが、所属議員は山本氏1人だけのため、政治資金規正法による政党要件(所属議員5名以上か国政選挙で2%以上の得票)を満たしておらず、政党交付金の交付対象にはなりません。

政治団体立ち上げの狙い

政治団体立ち上げは、浮動票を取り込める力が野党には十分にないという分析の上に導き出された方法のようです。野党の結集が必要であるのに、最大会派の立憲民主党は独自路線を進むことになるだろうから、結集は進まないということです。

安倍政権は4期目を迎え、

「国を壊されてゆくスピードを緩めることはできない」

と分析は進みます。状況を変えるために、

「違う角度から野党結集を促す」

ことが立ち上げの狙いだとしました。

公約

独自に旗を掲げるとしながらも、野党の結集が叶うならば、旗は下ろすとした上で、基本的政策の一致が条件だという考えも付け加えました。

1.消費税廃止
2.全国一律!最低賃金15
3.奨学金徳政
4.公務員を増やす
5.一次産業個別所得補償
6.トンデモ法の一括見直し
7.辺野古基地建設中止
8.原発即時禁止・被爆させない

れいわ新選組は幕府側?

団体名の由来については、山本氏本人から説明がありました。

説明は、

「一つはアイロニーが込められている。それについては想像にお任せします」

という口上から始まりました。

元号を取り入れた理由については、

「平成は経済停滞と格差が拡大した時代だった。大手企業にコントロールされた政治家たちが人々を搾取し続けた」

とし、国が衰退してゆくのを食い止めるために、

「新時代を変えていくんだという思いで元号を使わせていただいた」

ということです。

『新選組』は、新しい時代に新しく選ばれる者たちという意味だと説明した上で、

「新選組は幕府側・権力側ではないかという意見もあると思うが、今の権力は誰が握っているかというと、主権在民だ」

と説明を加えました。

アイロニー(反語・皮肉)の対象は不明ですが、「想像にお任せする」とする表現を使っていることから、否定的な捉え方をされても構わないとする覚悟を示しているのでしょう。敢えて当時の権力側だった新選組を持ってきたことに、「今の権力は国民が握っている」とする辺り、幕府に忠誠を尽くして命を懸けた新選組のように、国民のために命を懸けるのだという意気込みを表したのかもしれません。

山本太郎

生年月日:1974年11月24日(44歳)
出生地:兵庫県宝塚市
出身校:箕面自由学園高等学校(中退)
前職:俳優
現職:自由党共同代表

参議院議員
選挙区:東京都選挙区
在任期間:2013年7月29日~(現職)

山本太郎氏が政治の世界に足を踏み入れたのは、2012年のことです。12月5日に政治団体「新党 今はひとり」の設置を届け出の上、2013年7月21日の第23回参議院議員通常選挙で、東京都選挙区から無所属で出馬して初当選を果たしました。

その後、所属政党名は2014年に「新党ひとりひとり」、「生活の党と山本太郎となかまたち」を経て、2016年10月12日に「自由党」に党名変更を繰り返しました。山本太郎氏には、政治家としての活動の前に、芸能人としての活動期間がありました。

本名:山本 太郎
血液型:A型
職業:俳優
ジャンル:映画・テレビドラマ
活動期間:1991年 – 2011年
活動内容:映画、テレビドラマ、演劇、バラエティ番組
配偶者:あり
事務所:フリー

芸能界デビューのきっかけは、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「ダンス甲子園」への出場です。プロのダンサーを目指す出場者たちの中に、「アジャコング&戸塚ヨットスクールズ」と名付けたグループで参加し、海パンに水泳キャップ姿でステッキを振り回すといった、笑いを狙った登場を繰り返しました。

胸に油性ペンで書かれた「メロリンQ」の愛称で注目を集めることに成功しましたが、在学する箕面自由学園高等学校の保護者などから、

「あんな裸踊りをさせるような学校には通わせられない」

との非難も集めることになってしまいました。学校から「番組出演しない」か「自主退学」の判断を求められ、退学をしてタレントとしての道を選びました。

当初、バラエテイ番組に活動の場を求めましたが、トーク下手であったために成功はしませんでした。そして活動の場は徐々に映画やドラマの俳優へと移って行きました。

俳優活動の中に、2004年のNHKの大河ドラマ『新選組!』への出演があります。役どころは試衛館出身の原田左之助、大坂谷道場で種田宝蔵院流を学んだ槍の名人で、十番組の組長という人物です。

新選組

新選組は、幕末の時代に活動していた幕府側の武装組織です。今でこそ、近藤勇や土方歳三、沖田総司といった魅力的な隊士たちの紹介によって存在が認められるようになりましたが、「新選組」の名前は長い間、新政府軍に逆らって戦争を続けた賊軍のものでした。

新選組の始まりは、1862年、14代将軍の徳川家茂の上洛に際して募集されて結成された浪士集団でした。集められた200名の「浪士組」は京都に到着後、上洛を献策した本人である清河八郎が実は勤王勢力と通じていて「浪士組」を天皇配下の兵力にしようとしていたことが発覚し、計画の阻止のために江戸に戻ることになりました。

この時、試衛館派と水戸派は京都残留を主張し、「浪士組」が分裂することになります。京都に残留した一派は屯所を置く壬生村の名前から「壬生浪士組」と名乗るようになりましたが、これが「新選組」の前身となります。

壬生浪士組は第一次の隊士募集をし、36名余の集団となりますが、当初は後ろ盾を持たなかったために、隊を維持するだけでも困窮していました。水戸派を中心に商家からの金策を繰り返し、応じなかった商家への狼藉ぶりから嫌われた存在であったようです。

当時京都守護職にあった松平容保から、不逞浪士の取締と市中警護を任されたころから、尊王攘夷派志士の掃討に成果を積み上げ、嫌われ者から恐ろしい殺人集団へと評判を変えていきます。1864年の9月には、第二次の隊士募集を行い、新選組は200名を超す大所帯に成長しました。

1867年の6月になると、新選組は幕臣として取り立てられますが、15代将軍の徳川慶喜による大政奉還の4ヶ月前でしかありませんでした。新選組は、旧幕府軍に従って戊辰戦争に突入し、1869年に箱館戦争で旧幕府軍の完全解体を迎えるまで、抵抗を続けました。

局中法度(禁令五箇条)

日本各地から浪士の集団であった新選組は、集団を統率するために隊規を設けてたそうです。隊規は非常に厳しいもので、違反した隊員の粛清によって運用されていました。

戊辰戦争以前の新選組内部における死者は45名ですが、その内訳は、倒幕志士との戦闘による死者数は6名のみで、その他は殆どが切腹や暗殺等の粛清絡みのものであったといいます。

一、士道に背きまじき事
一、局を脱するを許さず
一、勝手に金策いたしべからず
一、勝手に訴訟取り扱うべからず
一、私の闘争を許さず

ただ、局中法度には正式な記録は残っておらず、新選組の生き残りであった永倉新八が後の回想録の中で語ったものです。さらに、回想録の中でも、最後の「私の闘争を許さず」は語られておらず、小説に書いた子母澤寛による創作である可能性が指摘されています。

維新の会に負けるフラグでダサい?

旧幕府側の新選組は新政府側の維新の志士たちに完全解体まで追い込まれています。歴史的な構図になぞらえて、「れいわ新選組」は「維新の会」に負けるフラグが立っているという声も挙がっています。

山本氏の狙いが、他の党に勝つことであるとは思いませんが、選挙だけを見れば、確かに勝ち負けを占っているようで気になるところです。また、さっそく元号を使ったことや、平成には「平成維震軍」なるプロレス団体が存在したことなどからも、ネーミング自体がダサいという評価もあるようです。

さて、山本太郎氏が目指す令和の時代の「新選組」が、どの道を目指すのか、そこに集う人々が作るのはどのような団体なのかは、まだ明らかになっていません。

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