津田梅子は朝ドラ「あさが来た」のモデル?梅ちゃん先生と渋沢栄一の勘違いツイート多数

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津田梅子はどんな人物?

津田梅子と言えば、津田塾大学の創始者であり、日本初の女子留学生として渡米し、その後女性の教育、地位向上のために尽力した人物です。ヘレン・ケラーやナイチンゲールとも親交があったそうです。

津田梅子は、1864年、将軍直属の家臣である幕臣だった父・津田仙の次女として生まれました。
母は津田初子。江戸幕府が崩壊した後、津田梅子の父は北海道開拓使の嘱託となりました。

その時、開拓使次官の黒田清隆がアメリカへの女子留学生を募集しており、津田梅子を応募させました。そして1871年、当時6歳だった津田梅子は岩倉使節団の留学生として渡米しました。5人いる女子留学生の中で最年少でした。

渡米後、津田梅子は日本弁務官書記の、チャールズ・ランマン夫妻の家に下宿。下宿から現地の学校に通い、英語のほかにラテン語・フランス語等の語学やピアノ、自然科学や心理学など様々なことを学びました。

もともと留学期間は10年と定められていましたので、1881年には明治政府から帰国命令が出たのですが、在学中であったため延長し、1882年に卒業した後、帰国しました。しかし長きにわたる留学期間中にすっかり日本語を忘れてしまい、帰国後とても苦労をしたそうです。

また、女性であるが故に、せっかく身に付けた知識を生かせる仕事が少ないということにもカルチャーショックを受けました。そして日本女性の地位を高めなければと思い馳せるようになったのです。

岩倉使節団で同行した伊藤博文と再会し、英語教師として働くようになります。1889年には2度目のアメリカへの留学を決意し、渡米します。

現地の大学で生物学を専攻し、三年の過程を一年て修了させ論文を執筆するなど、精力的に勉学に励みました。また、より多くの日本女性がアメリカへの留学できるようにと日本女性のための奨学金制度を設立しました。

1892年に帰国すると、渡米前にも勤めていた華族女学校で、再び英語教師として働きました。
この頃、アメリカのデンバーで開催された万国婦人クラブ連合大会へ出席し、ヘレン・ケラーを訪問したり、ナイチンゲールとも会見をするなど、多くの刺激を受けました。

津田梅子は益々日本女性の高等教育のために尽力することを決意します。そして1990年、現在の津田塾大学である「女子英学塾」を設立しました。

従来までの女子教育では花嫁修行が中心だったのに対し、自由かつ進歩的な教育が評判となりました。ただ、独自の教育方針が指図などでぶれることのないよう、資金援助は最小限に止めたため経営は困窮していたそうです。

教育や経営に奔走した津田梅子は体調を崩し、どうにか女子英学塾の経営を軌道にのせたあとは塾長を引退しました。その後、鎌倉の別荘で療養しましたが、1929年に脳出血で死去。64歳でした。

津田梅子は朝ドラのモデル?

「あさが来た」のモデルは?

女子教育に尽力し、女性のための学校を設立した人物ということで、朝ドラの「あさが来た」の主人公を連想する方がいるようです。しかし「あさが来た」のモデルとされているのは、女性実業家の広岡浅子です。

広岡浅子は1849年、京都の豪商・三井家の次女として生まれ、17才で大阪の豪商・加島屋の次男のもとに嫁ぎました。その後、経営学を独自に勉強し、夫にかわって加島屋を支えました。

時代の流れを読み、新たな産業に乗り出すなどして明治維新という時代の転換期を乗り越えてきました。日本女子大学の創始者であり、大同生命を設立した人物として知られています。

「梅ちゃん先生」のモデルは?

津田梅子という名前と、教育者ということから、津田梅子=朝ドラ「梅ちゃん先生」のモデルと勘違いする方もいるようです。しかし、「梅ちゃん先生」は女医を目指す下村梅子という架空の人物の話です。モデルは実在しないとされています。

なぜ勘違いされたのか?

「あさが来た」の広岡浅子と津田梅子が女性教育のために力を尽くした人物であるという共通点から勘違いがおき、また「梅ちゃん先生」の下村梅子と津田梅子は単純に下の名前が同じだったことで勘違いが起きました。

また、新しい一万円札の肖像は渋沢栄一という日本近代資本主義の父とも言われる実業家で、「あさが来た」にも登場した人物だったため、余計に話がややこしくなったのかもしれません。

まとめ

こんなにも勘違いが起こるということは、津田梅子という人物を知らない人がそれだけ多かったということでしょう。しかし、女性の地位向上のために人生を捧げた彼女のような存在があったからこそ、女性が男性と対等でいられる現代、また新しい女性の幸せの形が見えてきたのではないでしょうか。この機会に、津田梅子の功績が再評価されることでしょう。

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